今週のお題「二十歳」
おなごっちゅうのはな・・・
そう、説教が始まった。
父は関西より西の方の生まれで、そちらのなまりがあった。
(関西弁のようなイントネーションを想像してみて下さい)
その頃私は、スキーに行きまくっていた。夜行バスや、湯沢方面へ夜発の電車で行ったり、友達の車だったり。ほぼ、夜発だから、昼間に帰って来て、その日の夜出かけるのを繰り返していた。
あまりにも家にいない娘に対して何か言いたかったのだろう。
ある夜、(そのあとも出かける予定だった。)
👿「そこに座れ、いいから座れ」
と、父にそんな風に言われたと思う。
で、開口一番
👿「おなごっちゅうのはな・・・」
と、瞬間、記憶が宇宙の彼方に飛んで、その後になんて言われたのかまったく覚えていない。
おかし過ぎた(>ω<)/。・゜゜・
おなご?
っちゅうのは?
何が言いたかったんだろう?
なんとなく想像はつくけど。
そもそも、なぜ私がそんなにスキーが好きかじゃなくて、行きまくっていたのか?
20才のときは、短大の2年生だった。就職も決まって、卒業旅行何処行こー🎵と浮かれていた。
以前に『遠い海から来たCoo』
を読んでからずっとフィジーに行ってみたい💕と思っていた。
一緒に行ってくれる友達を確保してあとは、旅の準備だ。
とにかく軍資金を稼がねばと、バイトの鬼となった。朝はホテルのレストランでモーニング、そのあとマックで、クローズまで。土日はスーパーの試食のバイト・・・ヘトヘトだった。それでも、当時の時給って悲しいくらい安かったから1ヶ月10万もいかなかった😢
絶対フィジーに行くんだと頑張った。そんな矢先、湾岸戦争だ。
海外旅行は絶望だった。
あんなにバイトしたのにと悔しかった。
フィジーはダメだけど、どっか行きたい〰️と言う思いは強く、貯めたお金もパーっと使ってしまいたかった。だってそのために頑張ったんだから。それで、スキーに行きまくったのだ。スキーに行く友達ならいくらでもって訳ではないけど、すぐに見付かった。誘われもしたし。
そんな訳で、スキーのスケジュールがミッチリ詰まっていたのだ。
親からすれば、どうなってるの?なにやってるの?ってことだろう。
今現在、私には20才の娘がいる。やはり
遺伝なのか、フラフラしている。そんな娘に対して、私が何を思うのか・・・
「おなごっちゅうのはなー」
じゃなくて、
自分の身体の健康は大事なんだよ😉 もっとゆっくり休もうよ。
そう言ってやりたい。
もしかしたら、父もそんなような事を私に言おうとしていたのだろうか??
いや、多分違う・・・