先日、テレビでやっていた
志村&所の戦うお正月2020
を、見ていてゴミについていろいろ思い出したこと、思ってみたことを書いてみたい。
夢の島
↓↓↓↓
夢の島 - Wikipedia
まず驚いたのが、当時(私が子供の頃)、ゴミの焼却は一般的にされていなかったということ。
私が住んでいた東京は夢の島という所に全て埋め立てていたのだ。『全て』というのは知らなかった。
小学生のころ、都内見学で『夢の島』に行った。その時は、夢=ドリーム、の島なんて、どんな素敵なところなんだろう・・・💕くらいに思っていたのだろう。バスで通りすぎるだけだったけど、その光景は、まるで、ゴミの砂漠。ゴミがヒラヒラ舞っている。そして、その臭いが凄まじかったのを思い出す。それゃそうだ。全てのゴミが無造作に投げ入れられていたのだから。夢なんかじゃ全然ない。最後にバスは消毒される。夢の島ってそんな場所だった。
あのゴミたらけの場所に建物が建って繁栄してるなんて、あの頃には、考えられない。
今となっみれば、確かに『夢の島』であると言える。
焼却炉
私が小学生の頃住んでいたアパートの屋上には『焼却炉』というものがあって、可燃ゴミは住民が各々燃やしていた。なので、ゴミとして収集されるのは、不燃ゴミ、缶、生ゴミであろう。(私のアパートの場合)
そのうち生ゴミは、各階の非常階段の方に『ダストシュート』 とかいうのがあって、ふたの取っ手を手前に引くと、上の方が開いてそこから、生ゴミをいれるようになっている。ヒューードンと生ゴミは下まで落ちる仕組みになっていた。
子供の頃は、この『ダストシュート』は怖かったな。
そんなダストシュートの生ゴミの行き先だが、建物の外側に落ちていく場所があったような気がする。子供の頃のことなのであまり覚えていないが。非常階段側は外側が物凄く臭かった。生ゴミと消毒液の混ざった臭い。近所の人から苦情はなかったのか?今じゃ考えられない。
そこに集められた生ゴミがどのように収集されていたのかはわからない。
そして、学校の焼却炉の話だが、
これは小、中、高のどこもあった気がする。
掃除当番が、焼却炉で燃やしていた記憶がある。
焼却炉じゃないけど、一番記憶に残っているのは、高校の文化祭の終わりだ。全てのクラスからゴミを校庭に集めて、それを燃やしていた。都立高校だったけど、校庭は土だったので出来ることだった。それに、当時『燃やす』のは普通のことだったのだろう。
文化祭終わり、ゴミを燃やす頃には日が暮れかけていて、良い感そじのキャンプファイア状態だった。その火を囲んで、マイムマイムとか、オクラホマミキサーとか、フォークダンスってやつを踊ってたな。なんかドキドキしながら・・・。こんな事書いてるだけで、めちゃくちゃ恥ずかしい。
私、何歳だよ??もうすぐ50(/o\)
フォークダンスって何ですか?って言われそう。
横道にそれてしまったが、可燃ゴミを焼却できる場合はそうしていたのだろう。普通にその辺で燃やしていたのはいつまでだったのだろう?
焼却できない場合は『全てのゴミ』が夢の島へということか。
自分が結婚して、ゴミを出す人間になって初めてルールを知ったのかもしれない。焼却炉も、ダストシュートも、気付いたら無かった。無いのが当たり前で一ミリも疑問に思わなかった。だけど、この番組を見ていたら、昔は違ってたのを思い出したのだ。
今、焼却炉があれば、個人情報の紙類をシュレッダーにかけなくて済むのに。